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東京地方裁判所 昭和45年(刑わ)4385号 判決

被告人 細島秀雄

昭二二・六・二一生 無職

主文

被告人を懲役一〇月に処する。

未決勾留日数中六〇日を右刑に算入する。

本裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四五年七月一一日午前一一時四〇分ごろ、東京都千代田区霞が関一丁目一番東京地方裁判所七階第七〇三号法廷附近廊下において、同庁舎の管理権者である同裁判所長長谷部茂吉の要請により、退去要求に応じない五十数名の傍聴人を前記第七〇三号法廷前廊下から裁判所構外に排除する職務に従事中の警視庁第六機動隊第二中隊所属巡査町田知治に対し、その下腹部を蹴り上げて暴行を加え、もつて同巡査の右職務の執行を妨害し、その際、右暴行により、同巡査に対し全治約一〇日間を要する外傷性左睾丸炎・左精器炎の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人の主張は多岐にわたるが、その骨子はつぎのとおりである。

一、被告人は、本件公訴事実に記載された行為をいつさい行なつていないのであるから無罪である(第一点)

二、仮りに行なつているとしても、警察官の傍聴人らとくに被告人に対する本件排除行為は違法であるから、被告人は、本件について公務執行妨害罪の刑責を負うものではない。すなわち、

(一)  当日、東京地方裁判所刑事第八部小松裁判長係で開かれた法廷が荒れたのは、同部が国選弁護人の選任を行なわず、弁護人のない状態で公判を強行しようとしたことに起因するのであり、傍聴人らがかかる小松裁判長の訴訟指揮に抗議し、抵抗する行為は、むしろ、憲法一二条の要求する国民の自由および権利を保持するための欠くべからざる努力というべきで、小松裁判長の強権発動により廊下に排除された傍聴人らがなおも、同法廷入口附近の廊下で同裁判長の訴訟指揮のあり方について抗議の声をあげつづけたことは正当な行為というべきである。したがって、本件抗議によつて生ずる程度の事態は裁判所としても受忍するべきで、これを裁判所の職務執行の妨害として排除することは許されない(第二点)。

(二)  庁舎管理権は、本来、所長が発動すべきものであり、総務課課長補佐という末端の行政官への権限の委任は無効であつて、船坂助雄の発した本件退去命令は、この点からも無効である(第三点)。

(三)  本件退去命令は、七〇三号法廷の傍聴人ら全員を対象とするものであるが、かかる退去命令は庁舎管理規程一二条の要件を充足しえない部分をも不可分の一体として含んでいるのであるから無効であり、少なくとも、抗議をつづけていた一団から離れていたものに対しては、及びえないというべきである。しかして、被告人がこの抗議を続けていた一団のなかに入つていたという点については証拠は不十分というべきである。したがつて、かかる退去命令を前提として被告人を排除した警察官の本件職務行為は違法である(第四点)。

(四)  警察官らの本件排除行為は警察官職務執行法(以下警職法という。)五条によるものであるが、当時の状況は多少けん騒にわたるものであつたとしても、とうてい「人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞があつて、急を要する場合」にあたるものではなく、したがつて、本件排除行為は法的根拠を欠き、違法である(第五点)。

(五)  警察官の本件排除行為が仮りに適法であるとしても、任意に退去しようとしているものについてまで実力による排除行為を及ぼすことは違法である。被告人は、本件当時、一団の傍聴人らから離れてエレベーターの前に立ち、エレベーターで帰ろうとしていたものである。裁判所はエレベーターの使用を禁ずることはできるであろうが、そのことが直ちにエレベーターの前で待つている人間を実力で排除しうる根拠となるものではないというべきである(第六点)。

よつて、以上の諸点について当裁判所の判断を示すこととするが、本件各証拠によれば、被告人が本件犯行にいたるまでの全般的状況は、おおよそつぎのとおりであつたと認められる。

昭和四五年七月一一日午前一〇時四〇分ごろから、東京地方裁判所刑事第七〇三号法廷において小斉功ほか一二名に対する公務執行妨害等被告事件の公判が同裁判所刑事第八部小松正富裁判長係で開かれたが、当日の法廷は混乱することも予想されたため、あらかじめ同裁判長および同地方裁判所長長谷部茂吉の連名で丸の内警察署長および警視総監あてに警察官の派遣要請がなされており、同日午前一〇時の開廷予定時刻ごろには、警視庁第六機動隊第二中隊中隊長警部中山定雄以下約八〇名の警察官らが所要の場所にそれぞれ待機していた。しかして、前記時刻ごろから審理が始まり、被告人らの発言などが続いていたが、途中から法廷が荒れ始め、けつきよく、同裁判長はこのままの状態では正常な裁判の進行は望みえないものと判断して、閉廷を宣し、全員に退廷を命じた。ところが、傍聴人らは、なおも法廷内にとどまり、裁判所の警備員らの退廷命令の執行に応じようとせず、これに抵抗し、あるいはば声をあびせかけ、口々に「弾圧反対」「公判粉砕」などと叫んで気勢をあげていたため、同裁判長の指示により待機中の前記警察官らが法廷内に導入され、これら警察官と裁判所の警備員とによつて傍聴人らは全員法廷外に排除された。しかし、右七〇三号法廷から排除された約五~六〇人の傍聴人らは同法廷附近廊下一帯に滞留し、うち傍聴人入口前廊下に並んだ警察官らの前面にいた約二~三〇人ぐらいの傍聴人らは警察官らと正対し、口々に「弾圧反対」「不当裁判弾劾」などと叫び、それ以外のものもその近辺に散開滞留しててんでに抗議の声を発するなど附近廊下一帯はけん騒にわたつていた。

そのため、裁判所の庁舎等の管理に関する規程(昭和四三年最高裁規程第四号、以下庁舎管理規程という。)二条四項の規定に基づき、法廷警備に附随する庁舎警備に関して退去命令および撤去命令(同規程一二条および一三条)の発令等につき同地方裁判所長から代理者に指名されていた同裁判所総務課課長補佐船坂助雄は、この騒ぎが当日七階で開廷中の七〇一号および七〇二号法廷や階下五階の各法廷に及ぼす悪影響をも考え、右状況は庁舎管理規程一二条四号、六号および一一号にあたるものと判断し、七〇三号法廷から排除されたまま依然として同法廷附近廊下一帯に滞留していた傍聴人ら全員を対象として、これらの者に聞えるような大声で、数回にわたつて口頭で所長名による構外退去の命令を発した。ところが、傍聴人らはこの退去命令にも応じようとしないため、同課長補佐は警備員らに執行を命じたが、抵抗を受け、警備員だけではとうてい執行することは困難とみて、その場にいた前記警察官らに排除の要請をなした。警察官らはこの要請に応じ、中隊長中山定雄の指揮下に排除活動を開始し、警備員とも協力して傍聴人らをしだいに包むようにして七階階段口へと押していつた。

しかして、同中隊第三小隊所属の町田巡査も右排除活動に従事していたが、排除活動中、同僚の機動隊員の中からエレベーターのところにいる傍聴人ももつていくんだという趣旨の声を聞いたため、一団の傍聴人からやや離れてほか二、三人のものとエレベーターの前に立つていた被告人をも傍聴人らの中へ入れ、階段から降ろそうとして近づいたところ、被告人は町田巡査ら機動隊員の方をふりむいて「無茶をするな。」とか、あるいは「官憲の弾圧じやないか。」などと叫んだため、同巡査は被告人の肩を押え、腕をひつぱつて傍聴人らのかたまりの方へ連れて行き、被告人をうしろ向きにしたまま正対する形で肩を押してその中に押し込んだ。その際、被告人は、自分としてはおとなしくエレベーターで帰ろうとしていたのにこのような措置をとられたことに立腹し、かつとして同巡査の股間部を一回蹴りあげ、よつて、同巡査に対し全治一〇日間を要する外傷性左睾丸炎および左精器炎の傷害を負わせ、その場で公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕された。

第一点について、

以上の事実経過を前提として弁護人の主張について判断するのに、その主張の第一点は、当裁判所の右認定と異なる事実認定を主張するにとどまり、刑事訴訟法三三五条二項の判断事項に該当するものではないし、本件証拠上とうていこれを採用することはできないから、この点については、これ以上判断を加えることをしない。なお、弁護人は、町田証人の当公判廷における供述は、他の重要な点においても誤りがあり、全体として信用性が低い旨主張するけれども、被告人から暴行を受けた際の状況についての同証人の供述は、記憶も明確であり、かつ、同巡査において被告人と正対し、その右手を掴み、肩を押して傍聴人らの中に押し込んだという状況からみて、同巡査が蹴りあげた犯人を誤認する危険性もなく、また、被告人の右犯行が過失あるいは倒れかかつた際の不可抗力によるという可能性もきわめて少ないと考えられるので、この点に関する同証人の供述は十分に信用できるものといわなければならない。

第二点について、

つぎに弁護人主張の第二点であるが、弁護人が主張するように、国民に裁判を傍聴し、これを監視する権利が認められているといつても、それは裁判を公開し、国民に裁判を傍聴させることそれ自体によつて裁判の公正を担保しようとするものであつて、それを越えてさらに傍聴人に発言を許し、訴訟に介入する権利をまで認めようとするものではないのである。したがつて、傍聴人は、当然のことながら、法律および規則の定めるところにより、裁判長の訴訟指揮および法廷警察権に従つて静粛にこれを傍聴すべきであり、本件七〇三号法廷における傍聴人らのように、野次、怒号を発し、ば声をあびせ、けん騒にわたる行為に出ることは絶対に許されないのである。弁護人の主張もおそらく右のような法廷における傍聴人のあるべき姿を全面的に否定するものではなく、むしろ、原則としてはこれを認めつつも、裁判長の訴訟指揮等に明らかな違法、不当が認められるような場合には、例外として傍聴人にもこれに抗議する権利が認められるという、いわば抵抗権の思想にも近い主張であると思われる。しかし、法廷傍聴は、本来、何人にも許される筋合のものであり、その場に居合わせた傍聴人が国民各層の意見や利害を公正的確に代表しているとは限らないし、また、その能力や良心的な行動についても何らの保障もないのである。したがつて、傍聴人が正義と考えるところのものがつねに客観的な正義に合致するとはいいがたく、場合によつては、それが特定の立場に立つ党派的な主張であつたり、あるいは法律的な無知にもとづく誤解であり、さらには無責任な速断や感情的な発言にすぎないことも当然考えられてくるのである。しかも傍聴人らに発言が許されるとしたならば、傍聴人らが自分たちの正当と考えるところのものを絶対視してこれを裁判所にあくまで押しつけようとする態度に出ることも十分に予想され、もし、そのような事態が招来されるならば、たんに審理が妨害されるばかりでなく、裁判の独立公正すら危うくされかねないのである。

以上の諸点を考えるならば、抵抗権的な発想から、傍聴人に発言権、抗議権を認めていこうとする弁護人の主張は、傍聴人の声を国民の声と独断的に断定する誤謬を犯し、また、傍聴人の主観的な判断にあまりにも過度の信頼を寄せた結果、裁判官に対する信頼のうえに裁判の公正を確保していこうとする現行司法制度のありようを見失い、反面、当該事件の審理につき何らの責任をももちえない傍聴人に裁判介入を許すことによつてもたらされるさまざまの弊害、危険についての配慮を怠つたきわめて一面的な意見というほかなく、とうてい当裁判所の是認しがたいところである。

したがつて、本件法廷内でけん騒に及んだ傍聴人らに対する小松裁判長の退廷命令には何らの違法、不当もなく、法廷および廊下においてそれに抗議、抵抗した傍聴人らの行動が何ら正当な行為と認められないことは明白である。しかも、右傍聴人らの抗議行動は、その態様においても前記のとおり、七〇三号法廷附近廊下一帯をけん騒裡においたものであるから、かかる状況を目して庁舎管理規程一二条四号、六号および一一号に該当するものと判断し、七〇三号法廷附近廊下一帯に滞留していた傍聴人らに対し構外退去の命令を発した東京地方裁判所総務課課長補佐船坂助雄の措置はこの点に関する限り、まさに適法、妥当というべきである。

第三点について、

弁護人の主張の第三点は、本件退去命令の無効を主張するものであるが、しよせん、庁舎管理規程二条四項にもとづく事務の委任または代理の当、不当を論ずるにすぎないものであり、主張自体失当というほかない。弁護人の引用するところの「裁判所の庁舎等の管理に関する規定の運用について」(昭和四三年六月一〇日付最高裁経監第四〇号事務総長通達―以下、運用通達という。―)二の2は、右規程二条四項の運用につき、「管理者が本条第四項により代理をさせる場合の代理者は原則として高等裁判所、地方裁判所および家庭裁判所の支部については当該支部の支部長、独立の庁舎を有する簡易裁判所については当該裁判所の司法行政事務を掌理する裁判官とする。」旨を規定しているが、右は、高裁、地家裁支部および独立簡裁における総括的な代理者に関する原則規定であつて、高裁、地、家裁本庁における代理者については別段触れてないのである。したがつて、問題はけつきよく庁舎管理規程二条四項の解釈にかかることになるが、昭和四三年一〇月三〇日最高裁規程第六号によつて改正されてのちの同規程は、「管理者は、必要があると認めるときは、当該裁判所(地方裁判所にあつては管轄区域内の簡易裁判所を含む。)の職員にその事務の一部を委任しまたは代理させることができる。」旨規定するにとどまり、別段、受任者もしくは代理者を裁判官に限定しているわけでもなく、また、裁判官二百数十名を擁する全国一のマンモス裁判所であり、傍聴人、被告人らの不服従な態度から荒れる法廷の頻出する東京地方裁判所の実情を考えるならば、本件当時庁舎警備の主管課であつた総務課の課長補佐に対し退廷命令および撤去命令の発令等に関する事務の代理を命ずることは相当であり、この点につき何らの違法不当も見出しがたいのである。代理者は裁判官に限るという弁護人の主張を東京地方裁判所の現状にあてはめるならば、右は、何人かの裁判官に裁判官本来の裁判事務を離れて庁舎警備にあたることを要求するにもひとしく、とうてい当を得た見解とは思われないのである。

第四点について、

本件退去命令が発せられた時点における傍聴人らの状況に関する証人らの供述をみると、まず、証人船坂助雄は、七〇三号法廷から排除された傍聴人らは同法廷傍聴人入口付近廊下にとどまり、一団となつて騒いでいた旨供述し、また、証人中山定雄は、このときの状況を「傍聴人も外へ出てからは、真ん中のほうは若干うすくなります。まわりの警察部隊のほうにいる人のほうは特に厚いような状況の感じ」の一団であつたと供述する。そしてまた、証人町田知治の当公判廷における供述によれば、傍聴人らは蝟集してはおらず、約二〇名程度のものが機動隊員らと対峙し、そのほかの人はその後方に散つていたとのことであり、さらに、証人花盛隆志の供述を要約すれば、五~六〇人の傍聴人がひとかたまりで、そのうちの二~三〇人が機動隊員らの前面で口々に叫んでいたということである。これらの供述は、本件傍聴人らの一団性についてまちまちの表現をしているが、これらを総合するならば、当時の状況は約二~三〇人の傍聴人らが七〇三号法廷傍聴人入口附近で機動隊員らと対峙し、口々に騒いでおり、残りの傍聴人らもその附近一帯に散らばつて、右の積極的な傍聴人らを支援し、これに同調す趣旨で、現場に滞留をつづけ、なお全員が一団と目しうる状態にあつたと認められるのであり、弁護人側の証人である証人稲垣重光および同大和秀子の当法廷における各供述もかならずしも右認定に反するものではない。しかして、このように集団的な形態において一団として裁判所の庁舎内でけん騒にわたる行為を行ない、庁舎管理規程一二条四号、一一号などに触れるような場合には、その集団を一体とみて、その全員に対し退去命令を発しうるものといわなければならない。このような場合、その集団中にも別段けん騒にわたる行為を行なわないでいるものがあることは十分考えられるところであるが、そのようなものもかかる集団中に身を置き、これに同調する態度をとる以上、退去命令の対象となることはやむをえないところである。もし、右集団中で現実に騒いだものに限つて退去命令を発しうるにすぎないものとするならば、退去命令の発令にあたつて庁舎管理権者またはその代理者に対象者の認定上多大の困難を強いる結果となり、また、その執行にあたつても、集団構成員にさまざまの口実や妨害手段を与えて執行を困難とし、さらには対象外とされた残余の集団構成員が排除されたものらに代つてふたたび騒ぐことにもなりかねない。そして、このようなことから退去命令の発令が困難となり、あるいはその執行が容易に行ないえなくなるならば、その周辺における法廷審理をはじめとする裁判所の職務の遂行に多大の支障が生ずることは避けられないところというべきである。したがつて、弁護人の主張するところは、とうてい是認しがたく、七〇三号法廷附近廊下に滞留していた傍聴人全員を対象として発せられた本件退去命令は、この点においても、何らの違法、不当もないのである。

そこで、進んで、右退去命令発令当時および排除活動中における被告人の所在を確認するのに、証人花盛隆志の当公判廷における供述によれば、同証人は、排除活動に従事中、傍聴人を押して五~六メートル行つたあたりで、被告人が進行方向左側前列で同証人の左方にいた機動隊員に大声でくつてかかつているのを現認したとのことであり、明らかに一団の傍聴人らの中にいたことが認められる。もつとも、この点については、証人稲垣重光の当公判廷における供述があり、これによれば、被告人は同証人とともに一足先きにエレベーターの前まで行つて、エレベーターのくるのを待つていたところ、傍聴人らの集団と機動隊とが動き出したということであり、前記花盛証人の証言とは異つた状況が浮んでくるのである。そこで、この二つの相異なる供述の信用性が問題となるが、被告人の昭和四五年七月一七日付検察官に対する供述調書によれば、「私は廊下へ出てからたばこに火をつけて吸つておりましたが、そのうちにまた機動隊が廊下一杯になつて私たちを押して来ました。(中略)問君自身は警察官の排除行為に対して抗議しなかつた。答私は口に出して抗議などはしていません。私はこのような状態になつてから、エレベーターの前へ行きました。」ということで、この点からも前記稲垣証言がかならずしも信用できないことは明らかである。したがつて、仮りに、「私は口に出して抗議などはしていません。」という被告人の弁解を受け入れて花盛巡査の現認した黒シヤツの男が被告人でないとしても、なお、右調書から被告人は、本件退去命令の発せられた当時、傍聴人のたむろしていた七〇三号法廷附近廊下におり、他の傍聴人らと一団をなす状態で、機動隊員らに押されてエレベーター方向に移動していつたと認めるのが相当である。したがつて、前記船坂助雄が傍聴人ら全員を対象として退去命令を発した際に被告人をもこれに含めたことには何らの違法もない。

第五点について、

判示認定に用いた本件各証拠によれば、七〇三号法廷から排除された傍聴人らは、廊下に出てからも、一団と認められる状態で滞留、抗議をつづけ、とくに機動隊の前面にいた二~三〇人の傍聴人らは警察官や警備員に対して盛んにば声をあびせかけたり、相当に抵抗しており、けん騒にわたつていた。そこで前記船坂助雄において退去命令を発し、警備員に、執行にあたらせたが、傍聴人らはこれに応じて退去する気配をまつたくみせず、そのため、同課長補佐は警備員だけではとうてい執行困難とみて、その場にいた機動隊に右傍聴人らの排除要請をしたものと認められる。しかして、この要請を受けた前記第六機動隊第二中隊長中山定雄は、傍聴人らが右退去命令にいつこうに従わず、加えて廊下に並んだ機動隊に向つて何人かでスクラムを組み、中には肩でぶつかるなどしてくるものがあつたので、このままの状態では不退去罪が成立するし、場合によつてはけがでもするような事態がおこるのではないかと判断して、機動隊員らをして傍聴人ら全員を対象として排除活動を開始させたことが認められる。このような状況からすれば、右中山中隊長の判断は適切であり、警察官らの本件排除行為はまさに警職法五条の要件をみたしているものというべきである。したがつて、この点に関する弁護人の主張は採用の限りでない。

なお、当裁判所としては、本件傍聴人らについては警察官らの排除行為の開始時点において、すでに不退去罪が成立しているものと思料する。すなわち、刑法一三〇条後段の不退去罪が成立するためには、不退去が社会的相当性の範囲を逸脱したものと認められることが必要であるが、この判断はたんに時間的な長短のみによつてくだされるべきものではなく、不退去者の滞留目的の違法性、不退去意思の強固さ、不退去の態様あるいは不退去状態の継続することによつてもたらされる法益侵害の重大性等、これらを総合して行なわれるべきところ、本件においては、傍聴人らは七〇三号法廷附近廊下において、一団となつて裁判長の訴訟指揮および退廷命令に理由なき抗議を続け、現に開廷中の法廷もあり、静粛さの強く要請される裁判所の庁舎(法廷棟)内においてけん騒にわたる状態を現出し、裁判所の退去命令にも容易に従おうとする態度をみせず、警備員による排除行為に対してすら抵抗を示し、このまま放置すれば、なお相当時間不退去状態が継続することが予想されていたのであるからたとえ、裁判所の退去要求から、機動隊の排除活動の開始にいたるまでの間が中山証人の証言するように一五秒ないし二〇秒にすぎないとしても、不退去罪はこの時点で成立しているものと認められるのである。しかして、このように不退去罪が成立する場合には、警察官らは司法警察職員として検挙活動にのり出すことも可能であるが、違法状態が解消しさえすれば犯人検挙にのり出すまでの必要性もなく、また、かかる司法警察としての活動が現場における混乱を助長して、かえつて裁判所庁舎内の平穏を害することになることが懸念されるような場合には、司法警察としての活動を見合わせ、犯罪の鎮圧に重点を置き、本来は被疑者ともいうべき不退去者を警職法五条に認められる制止程度の強制力で庁舎外に排除することは、警察法二条一項、刑事訴訟法二一三条、警職法五条の全体的な解釈から適法であるというべきであり(福岡高裁昭和四四年三月一九日判決刑事裁判月報一巻三号二〇七頁参照)、この場合には、現に犯罪が行なわれつつあるのであるから、犯罪がいまだ行なわれていない場合とは異つて、かならずしも警職法五条にいわゆる「人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞がある」という要件を充足することを要しないものと解すべきである。したがつて、弁護人の前記主張はこの点からも理由がない。

第六点について、

前記のとおり、被告人は本件排除活動開始の当時、七〇三号法廷附近廊下に滞留し、他の傍聴人らとともに退去命令を受け、現に機動隊員らに押されて階段方向に進んでいたのである。このように、被告人に対して排除活動がいつたん開始された場合には、原則として被告人が庁舎外に排除されて不退去状態が完全に解消されるまでは、これを継続することができると解すべく警察官としては、被告人において一団の傍聴人から離れて七階にとどまり、任意エレベーターで帰る旨を主張したからといつて、かならずしもそれを容れて排除行為の対象からはずさなければならないものではない。しかも、本件排除行為の当時、七階におけるエレベーターの使用は禁止されており、前記船坂助雄は本件退去命令を発するにあたり、これとあわせて傍聴人らに対し、くり返して階段を使つて退去すべき旨を指示しており、排除活動にあたつた警備員、機動隊員らも口々にその旨を述べていたのであるから、被告人も当然これを知つていたとみるべきである。また、現にエレベーターを待つていた際、被告人のそばに居合わせた大和秀子が警備員から階段を使つておりるよう注意されていることが認められるのであるから、被告人としても、遅くともこの時点においてはエレベーターの使用が禁止されていたことを承知していたはずである。したがつて、被告人は、町田巡査の排除行為の際、たしかに一団の傍聴人からやや離れてエレベーターの前に立ち、ほか二、三人のものたちとエレベーターで帰ろうとしていたことは認められるけれども、それだけでは任意退去に応じたことにはならず、むしろ、エレベーターで帰ることを口実に、なお七階に不法残留をつづけようとしたものとみなされてもやむをえないところである。弁護人は、エレベーターの使用禁止は裁判所の権限としてこれを行なうことはできるとしても、そのことがエレベーターの前に待つている人間を実力で排除しうる法的根拠とはなりえない旨主張するが、庁舎管理権者は、不退去者に対し、たんに退去を要求できるばかりでなく、その指示が合理的なものであるかぎり、退去の方法、経路をも指示することができると解すべきであり、正当な理由もなくこの指示に従つて退去しようとしないものは、依然として不退去の状態にあるとみるべきで、これらのものに対しては、管理者の指示に応じた退去の即時強制が許されるものというべきである。しかして、本件庁舎外退去の命令に際し、船坂助雄が傍聴人らに対してエレベーターの使用を禁止したのは、エレベーターを使用すると排除に時間を要するし、エレベーターで帰るということを口実に排除を免れようとするものが出てくることも予想され、さらに過去に退去者がエレベーターのなかでこれを操作する女子職員にいやがらせをしたことも何度かあつたためであり、これらの点を考えるならば、右船坂助雄のこの措置は相当なものということができる。したがつて、町田巡査の被告人に対する本件排除行為にも別段違法はないというべきである。

以上のとおりであるから、弁護人の主張はいずれもこれを採用しがたく、けつきよく、被告人は本件行為につき公務執行妨害罪の刑責を免れないものというべきである。

(法令の適用)

被告人の判示所為中公務執行妨害の点は刑法九五条一項に、傷害の点は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条に各該当するところ、以上は一個の行為にして二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により重い傷害罪の懲役刑により処断することとし、右所定刑期の範囲内で被告人を懲役一〇月に処することとし、同法二一条を適用して未決勾留日数中六〇日を右刑に算入し、諸般の情状にかんがみ、同法二五条一項により本裁判確定の日から二年間、右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項本文に則り、全部これを被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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